*** 晴れやかで気まぐれな午後 ***

by marianne



天高く、晴れ渡る空。
地上にはゆるやかな起伏をうねらす、鮮やかな緑野。
対を成す天と地は、片や目の醒めるような滄海のごとく、片や、やわらかな陽光に照り映える深緑の湖のごとく。
また、一方には果てが無く、一方には果てがあり―― そしてその果ては、美しくも華やかな色とりどりの色彩に満ちている。

「シナモン、サフラン、ラヴェンダー。それからヒソップ、クローヴに―― えぇと、他に何かあったかな?」
さぁっと音をたてて、風が爽やかな香りを吹き散らしながら、頬の横をかすめるように駆け抜けた。
風の軌跡を追いかけるようにして、辺りを埋め尽くしたヒースがいっせいに大きく揺らぎ、互いに重なり合って遥か向こうの方まで波打ってゆく。
「ローズマリーは?それから、セージとタイム」
風に流されながらも、後ろの方から耳に届けられる穏やかな声。
レゴラスは声に頷きかけ、それから少し首を傾げると、思案するように人差し指を唇に押し当てた。
「ローズマリーとセージは見かけますね。けれど、タイムはどうでしょう?」
思いつくままに並べ立てていたのは、香草の名―― ただし、香草は香草でも、ワインに入れて楽しむ香草だ。
食事の時や、休息の時、眠る前など、たしなむ時と場合と好みに応じて、ワインには様々な香草を投げ入れることがある。
「では、ここにうんざりするほど群れているヒースはどうだ?」
「間違ってはいませんね。でも、ヒースの場合は葉や花でなく、蜜を使うのだけれど」
言ってからレゴラスは、ヒースを踏みしだかないよう気をつけて歩んでいた足を止めると、くるりと背後に向き直った。
とたん、先ほど通り抜けてきたばかりの青々とした緑野が視界いっぱいに広がり、一瞬、遠近感が失われて目がくらみそうになる。
「―― それにしても、もう少し他に言いようはないのです?こんなにも素晴らしい景色を目の前にして、うんざりするほどだなんて」
目を瞬かせ、それから心持ち眉をはねあげると、レゴラスは呆れた呈を装った。
そうして軽くねめつけた先にあるのは、ゆっくりとこちらに向かって近づいて来る野伏の姿―― 言わずと知れたアラゴルンだ。
「まさに、百花繚乱。これだけのたくさんのヒースがいっせいに咲き揃えば、華やかな真紅の薔薇にだって引けを取らないというのに」
言いながらレゴラスは、軽く頭をもたげると、ふたたびヒースを振り返ってぐるりと眺め回した。
その目に映るのは、本来なら荒涼とした姿であるはずの荒地を埋め尽くす、ひたすらのヒース。
それも、ただ鮮やかな緑の葉だけではない。
ヒースは、その葉が隠れてしまうほどに小さな花々をびっしりと身に纏い、荒地は見渡す限り、花の洪水であふれんばかりだ。
ほとんどの花は可憐な淡い紫色をしていたが、中には淡雪のように清楚な純白なものから、情熱的な赤、清清しい薄青いものまであり、まるで色とりどりの花で織り上げた絨毯を敷き詰めたようにも見える。

「レゴラス」
不意に、すぐ近くで静かな声が響いた。
辺りに満ちあふれた芳香と美しい光景に、ぼうっと酔い心地になっていたレゴラスは、少しはっとなって顔をあげた。
「我を忘れるほど花に見惚れていたのか?・・・・お前らしいな」
華やかな色彩の中、唯一影の色を身に帯びた姿が、視界の中をゆっくりと通り過ぎていく。
傍らを過ぎ行きざまのその目元に、どうやら少し、笑っているらしい様子が浮かんでいるのを見てとり、レゴラスはいくぶん機嫌を損ねると、唇をとがらせた。
「見惚れてしまうくらいが普通なんです。こんなにも見事な光景を目にしながら、感嘆の声ひとつあげないでいられる貴方が、よほど変だと僕は思うけれどね! ―― それとも貴方は、美しい花よりも、花に隠れて潜んでいるかもしれない敵を心配していたとでも?」
黒衣の背を追いかけて傍らに並ぶと、上目遣いに横顔を見上げ、少し挑発するように言葉を投げつける。
「・・・かもしれんな。俺は無粋な野伏だ。エルフのように花を愛でたりはしないし、詩人のように言葉豊かでもない」
ヒースをなびかせて吹きぬけた風に黒褐色の髪をうたせながら、アラゴルンがあっさりと認める。
どんな言葉を返されるかと待ち構えていたレゴラスは、拍子抜けし―― それから、いつのもように上手くあしらわれてしまったのだと気付いて、唇を引き結んだ。
と、アラゴルンがかすかに笑んでレゴラスを見下ろし、言葉を継ぐ。
「念のために言っておくが。美しいものを美しいと思う心は、一応はあるつもりだ。このヒースの群れにしても、確かに見事な眺めで美しいとは思う。―― だが、それだけだ。我を忘れてしまうほど俺の心を奪うには、ほど遠い」
「なるほど、ね。―― では、一体何であれば、貴方の岩のような心は奪われると?どんな敵でも一撃で屠ってしまう素晴らしい剣?それとも、地の果てまでも駆け抜けてしまう駿馬ですか?」
アラゴルンを見上げ、面白くない心地をそのまま声と言葉に乗せて、たたみかけるように告げる。
「・・・否定はしないでおこう」
アラゴルンが軽く眉をあげ、面白がるような様子で答えた。
「名馬も名剣も、どちらも命を預けるものだからな。・・・だが、そんなものなど足元にも及ばないほど心を奪われるものが、あるにはある。時には焦がれるほど、心に思うことだってある」
「心が焦がれるほど?貴方のような人が?・・・それはまた、随分思い入れたものですね」
眼差しに疑いをありありと込めて、アラゴルンを見つめる。
するとアラゴルンは、何を思ったのか、感情を押し隠してしまったような不思議な様子でじっとレゴラスを見つめ返し、それからすっと目をそらせた。
「―― どうしても手にいれたいものがある。今でもだ。・・・すぐそばにあって、あとほんの少し手を伸ばせば手に入るのに、どうしてもそれが出来ない。そうしてしまったら最後、全てが壊れてしまいそうな気がするからだ」
行く手のはるか彼方、連なる峰峰へと目を向けながら、淡々とアラゴルンが言う。
「まるで、謎かけのような言葉ですね。でも―― それほどまでに、貴方が手にいれたいと願うものとは、一体・・・?」
告げられた意外な言葉に興味をかきたてられ、レゴラスは何となくためらいながらもアラゴルンに尋ねた。
「知りたいか?」
灰色を帯びた青い瞳が、いかにも曰くありげな様子を浮かべてレゴラスを覗き込む。
「・・・いえ、結構です!」
レゴラスは、瞬時に、また乗せられてしまったかと後悔すると、髪を揺らせてそっぽを向いた。
「いつも僕をはぐらかしてばかりいる貴方が、素直に答えてくれるとは、とても思えませんから。それにきっと、知ったところで、どうせ僕を惑わせるような言葉でしかないでしょうし」
「―― ご明察、痛み入る」
アラゴルンが、肩をゆらせておかしそうに笑いだした。
反対にレゴラスは気分を損ね、何かひとこと言い返してやろうとやっきなって思い巡らせる――と、笑いおさめたアラゴルンが、不意に様子を変えた。
真剣だとも、またそうでないともとれる、つかみどころのない表情でじっとレゴラスを見つめると、ゆっくりと口を開く。
「レゴラス――もしもだ。もしも、俺が心を奪われ、焦がれるほど手に入れたいと願うのが―― お前だと言ったら?」
「・・・え?」
突然のアラゴルンの言葉に、レゴラスは思わず足を止めた。
その傍らをアラゴルンが三歩過ぎ行き、それから立ち止まって振り返ると、片手を腰にあて、様子を伺うような眼差しで静かにレゴラスを見つめる。
「もし俺が、お前を―― お前の心も身体も、何もかも、全てを奪い尽くしたいと願わずにはいられないほど、お前が欲しいと言ったら、お前はどうする?」
「どう――すると言われても・・・」
レゴラスは瞬いた。
アラゴルンの思いを図りかね、驚くよりも答えに困って、途方に暮れてアラゴルンを見つめ返す。
「貴方が、僕を欲しい・・・?それは、つまり―― そのう―― どういうことでしょう?」
どうとも言葉を探しあぐね、自分でも馬鹿な質問だとは思いながらも、そう問い返してしまうと、アラゴルンが苦笑するように小さく笑い、片手で前髪を大きくかきあげた。
それから、冗談だ、と短くひとこと言うと、軽く肩をすくめてレゴラスから視線を外し、すっと行く手に向き直る。
「すまない、今の言葉は忘れてくれ。・・・少し、お前の驚く顔が見てみたかった。それだけだ」
詫びるように片手をあげると、ふたたび歩み始めたアラゴルンの広い背を、レゴラスは少しの間、わけもわからずぼんやりと見送った。
「・・・冗談、だって?」
それから、小さくつぶやく。
「僕の、驚く顔が見たかった?―― 忘れてくれ、だって?」
アラゴルンの言葉をようやく飲み込んだとたん、胸に、今度は悔しさと腹立たしさがいちどきに押し寄せ、両の手のひらをきつく握りしめる。
「アラゴルン!貴方はいつもいつも―― どうしてそうやって僕をからかってばかりなんです?!」
黒衣の背を追いかけはせず、その場に足を縫いとめたまま、レゴラスは声を張り上げた。
「僕をたばかるのが、そんなにも楽しいですか?!貴方の言葉に、いつも僕がどれだけ惑わされていることか――!」
大きく見開いた目で睨みつけた先で、アラゴルンが足を止め、振り返る。
「俺は、お前をたばかろうとしたことなど一度も無い。俺はいつだって真面目だし―― それに、本気だ」
「また、そういうことを――。たった今、僕をからかったばかりで、よくもそんな言葉が言えたものだ!」
あくまで穏やかな態度を崩さないアラゴルンに声を荒げ、きっとなって睨みつけると、アラゴルンが少し困ったような表情を浮かべて、また髪をかきあげた。
「・・・俺は、お前をからかったつもりはないがな」
「でも、貴方は冗談だと!」
そらされかけた眼差しを引き止めるように、レゴラスが声高に言うと、アラゴルンがわずかに首をかたむけ、どこかもの問いたげな眼差しでレゴラスを見る。
「―― 本当に冗談だったと思うか?」
「・・・え?」
レゴラスは思わず、気勢をそがれて口を閉じた。
それから、今度はもう騙されないとばかりにアラゴルンをねめつけ、用心深く問いかける。
「それは――どういう意味です?」
「どういう意味も何も―― 言葉通りの意味だと思うが?」
さらりとまぜかえされ、レゴラスは眉を寄せた。
そして、今度はいくぶん不安な面持ちになって、本心を探り当てようとじっと黒衣の姿を見つめていると、アラゴルンがレゴラスに向けて、すっと片手を差し出した。
「―― レゴラス、来い。少し、先を急いだほうがいい。探している香草は、まだ一つも見つけていないだろう?」
今しがた口にしてきた言葉など何も知らぬげに、いつもと変わらない穏やかな様子で、レゴラスを誘う。
「いつまでもそうして立ち止まっていたところで、俺は一向に構わんが、急がなければ日が暮れてしまうぞ。―― それとも、今日はもう、ここで引き返すか?」
探している香草――。
アラゴルンの言葉にレゴラスは、はたと忘れかけていた目的を思い出した。
そう―― わざわざ裂け谷を離れてブルイネンを越え、こんな荒地まで足をのばしてやって来たのは、手元に足りない香草を探すがため。
それも、ワインには香草など入れるべきではないと言い張るアラゴルンに試させ、納得させるためのだ。
「引き返したりなど、しませんよ!たとえ日が暮れてしまったとしてもね!」
一度はひどく騒ぎかけていた胸の思いを、とりあえず放り出してしまうと、レゴラスは少し慌ててアラゴルンに向かって駆け出した。
香草の野は、このヒースの荒地のすぐ向こうだ――といっても徒歩である以上、ヒースの海を抜けるのにいったいどれだけ時間がかかるかは、知れたものではない。
「言っておくが、馬を途中で置いていこうと言ったのはお前だからな。荒地を抜け出す頃に日が暮れたとしても、俺に文句を言いはしないだろうな?」
ヒースを左右に避けながら追いつき、追い越しざまに、レゴラスの思いを読んだかのようにアラゴルンが声をかけ、レゴラスは思わずむっとなると、立ち止まって振り返った。
「日が暮れようと、野で夜を明かそうと、僕は平気だ。貴方が今ここで引き返したいというのなら、どうぞご自由に!万が一敵があらわれたって、僕一人でどうとでもなるでしょうしね」
にっこりと盛大に微笑みかけながら、そう言い置くと、アラゴルンの応えを待たずにどんどん先へ先へと足を進めていく。
後ろのほうで、どうやらアラゴルンが深々とため息をついたらしい。
肩越しにこっそりと背後へ目をやると、黒衣の姿はゆっくりながらも、間違いなくレゴラスの後を追ってきている。
行く手に目を戻し、少しだけ胸のすく思いでレゴラスは、一人またにこりと微笑むと、どこまでも広がる荒地に咲く可憐な花々を眺めやった。
たまには、僕がアラゴルンを振り回すのだって、悪くはないだろう。
もう少し我がままにふるまうくらいが、ちょうどいいくらいかもしれないな――。
そう、他愛もないことを心に思いながら深呼吸をし、胸いっぱいに爽やかな芳香を取り入れる。

また、ひときわ強い風が行く手から吹き寄せ、花々の上、蒼穹の下をブルイネンの方へと駆け去った。
澄み切った青空のもと、荒地をいっときの花園に変えたヒースの花々は、さながら浜辺に打ち寄せる波のごとく大きくうねっては、あたり一面に芳香を振り撒いてゆく。
エルフ一人と人間一人、そして二人分の様々な思いを内に抱きながら、そうしてヒースは、時折風になびきながら、ただひたすらに今を盛りと咲き誇るばかりだった。





<fin>














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「雲の上でお茶を。」まりぃあんさまより寒中お見舞いフリー小説を頂きましたvv
タイトルも素敵で、爽やかな風の香りが感じられるような、
読んでいてもとっても心地よいお話ですよねv
熱烈な告白をしておいてさらっとかわすアラゴルンが良いです〜♪
そして困っちゃうレゴラスが可愛いですっvv 

まりぃあんさま、素敵な小説をありがとうございました!




































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