花は巡り、想い萌ゆる



裂け谷の時は、穏やかに緩やかに流れる。

大いなる力に護られた清浄な土地に暮らすエルフたちは、その悠久の生に相応しく、時に急きたてられることなく心静かに、眩き光を降り注ぐアノ―ルと澄んだ輝きに満ちたイシルとを交互に仰いでいた。
聖地の二本の樹がその最期に産み出した金と銀の輝きは、今も変わることなく中つ国を照らし続けているのだ。

裂け谷は、数少ない安息の地のひとつ。
密かに蠢いている気配のある黒い影に対する用心は怠れないが、それでも平和を享受するには十分な穏やかさだった。




時は初春。
甘くふくよかな芳香が風に漂う花園に、二人のエルフの姿があった。
裂け谷の主である、かの小夜啼鳥ルシアンの面影を色濃く残したエルロンドと、その片腕たるグロールフィンデルである。

「何とも芳しいこと・・・」
黄金の髪持つエルダールは優しげな笑みを浮かべている。
平時は穏やかな顔のこの高貴なエルフは、ひとたび戦ともなれば勇猛な戦士となるのだ。
無言のまま、エルロンドも微笑んでいる。
しかし、その顔はどこか寂しげだった。




生命が芽吹き、萌え立つ春・・・。
彼女はとりわけこの季節を愛し、咲き乱れる花を足元に鈴を転がすような声で歌うことも多かった。
銀の髪に色とりどりの花で編んだ冠を戴せ、裂け谷のあちこちを軽やかな足取りで逍遥していた。
ケレブリアン・・・。
オークどもが、彼女から輝きを奪い去ってしまった。
中つ国に絶望し、この地で生きる力を失った彼女は、愛する春の訪れを見ても心を動かすことなく、西の彼方へと渡って行ってしまった。

あれから何年過ぎただろう。
春が来る度、エルロンドは妻の面影をひと際鮮やかに思い出す。
かつて華やかに栄えた数々のエルフの都も今はなく。
幼くして両親と引き裂かれ、育ての親は討たれ、血を分けた弟とはこの世が終わっても再び相見えることはなく、保護の手を差し伸べてくれた力強き王もすでに亡い。
そして、今度は妻と分かたれて・・・。

次に失うものは何だろうか。
息子たちか、娘か、それともこの腹心か民たちか・・・。




すっと顔の脇を掠めた手に顔を上げると、グロールフィンデルが少しだけ困った顔をしていた。
「そのように沈まれますな、我が君」
「あ・・・」
彼の手が触れたところに手を伸ばすと、耳の上に一輪の花が飾られているのが判った。
「貴方の髪は真っ黒だから、白い花はとてもよく映えるのですよ」
「ケレブリアンも・・・そう言っていたな」
笑顔のグロールフィンデルに照れ隠しのようにそう呟くと、大きな手が優しく頬に触れた。
「アマンの奥方様にはいつかまた会えます。
その時にはきっと、かつてのように朗らかな方に戻っておいででしょう。
ですから・・・もう悲しいお顔は見せないで下さい」
「・・・そう、だな」
夕闇色の瞳が細められると、グロールフィンデルはやっと安心したようだった。



その時。
エルフの鋭い聴覚を、微かな音が騒がせた。
蹄の音、それも一騎ではない・・・。
「・・・あれ共か?此度はまた随分と早いな」
振り仰いで、エルロンドが怪訝な顔をした。

彼が「あれ共」と呼んだのは、無論双子の息子たち、今は最早ほとんど生き甲斐と化したように見えるオーク狩に出かけて不在のエルラダンとエルロヒアのことである。
一度出かければ平気で数年は帰ってこないこともある彼らが、十日と経たずに帰還してくるとは、只事ではない。

「それだけではないようです。聞き慣れない馬の足音が・・・。
・・・裂け谷の馬ではありませんし、野伏たちのものとも違いますね」
更に耳を澄ませ、グロールフィンデルが判断する。
「誰を連れて来たというのだ・・・?
まあよい。迎えに出てやろう」
裾を返して門の方へと歩き出したエルロンドに、すぐさまグロールフィンデルも従った。





二人が門に着くと、既に双子たちは到着していた。
ひらりと馬から飛び降り、父に気づいて形ばかりの礼をするエルロヒア、含みのある笑みで後方を示すエルラダン。

エルロンドがその先に目をやると・・・。


ひとりのエルフがにこやかに笑っていた。


まだごく若い。
中つ国のエルフのなかでも最も若い部類に入ることは間違いない。
髪の色は明るい金、その瞳は森の若葉の翠。
例外なく美しい造形を持って生まれるエルフにしてみても、思わず溜息が出るほどに整った繊細な顔立ち。
すらりとしなやかな立ち姿は、一本の若木を連想させた。
濃い緑色のチュニックの上から苔色のマントを羽織り、弓矢と短剣を背負っている。



しばらくの間呆然と見とれてしまったエルロンドは、グロールフィンデルが双子に向けた声で我に返った。
「一体どうしたのです?貴方たちの帰りがあまりに早いものだから、お父上は驚いて言葉もないご様子ですよ」
「ひどいなあ!僕らは彼を案内して来たって言うのに!!」
「そうそう。
霧降り山脈でばったり彼に出くわしてさ。裂け谷を探しているっていうから、連れて来たんだ」
さも心外だ、という顔をする二人の後ろから、遠慮がちに金髪のエルフが初めて口を開いた。

「あの・・・どうかお二人を責めないで下さい。
慣れない土地で難儀していたところを助けられ、本当に感謝しております」

艶やかな声だった。
この声に歌わせればさぞ耳に心地よいものだろうな、とエルロンドはぼんやり考え、それに気づくと苦笑した。
「別に責めているわけではないのだよ」
改めて彼の方を向き、礼儀として居住まいを正してから、エルロンドはゆっくり言った。
「よく参られた、異国の方よ。
私はエルロンド。こちらはグロールフィンデルだ。
裂け谷を探していたとは、一体どういった用向きかな?」

それを聞いた途端、金と緑のエルフの目がぱあっと輝いた。
「エルロンド卿!グロールフィンデル殿!
まさかこんなに早くお目にかかれるとは!!」
そして流麗な動作でシンダール風に一礼した。
「私は闇の森より参りました、スランドゥイルが子、レゴラスと申します」
この一言に、エルロンドとグロールフィンデルは揃って瞠目した。






裂け谷と闇の森とは、エルフの足をもってすれば遠隔の地というわけでもない。
だが、長い年月の間に培われた種族間の反目―最も大きな原因は、第二紀末の冥王との戦にあるのだろうが―と互いの意地が、両国の王同士を疎遠にしていた。
よほどのことでもない限り、闇の森からの使者など来ない筈。

ましてや、それがスランドゥイルの息子だなどと・・・。





「・・・よく父君が許されたな」
傾いてきた陽の下、バルコニーに座って歓談しながら、エルロンドは思わずそう洩らしていた。
「しぶしぶでしたけれどね」
レゴラスは朗らかに言った。

自分よりもはるかに歳を重ねた偉大なエルフと直に話せることが、嬉しくて仕方ないらしい。
また、第三紀以降に生まれた若いエルフはそう多くないため、エルラダン・エルロヒアにはかなり親近感を覚えているようだった。

「私は生まれてから一度も森の外に出たことがなくて・・・。
裂け谷やロリアンのことは父はあまり話したがらなくて、少ししか聞いたことがなかったのですが、いつかこの目で見てみたいと思っていたんです」

「ではロリアンにはもう行かれたのか?」
グロールフィンデルの問いかけに、レゴラスは首を振った。
「いいえ。残念ながらロリアンに行くことは父が断固として許してくれなかった。
ではせめてこちらにだけでも、と私が煩く言い続けて、とうとう押し切ったんです」

そして辺りを見回し、ほうっと息をつく。
「この地は・・・とても清らかです。そして美しい。
私の故郷も美しい場所ですが、こことは空気が違う」

「君の国の森には物騒なものがあるからねえ」
「あの場所でしょう?
あれのお陰で、王国から一歩出るとオークやら蜘蛛やらがうじゃうじゃしていて、気持ちが悪いったらありゃしない!!」
エルロヒアがのんびり言うと、レゴラスは大げさに身震いして見せた。
「今度掃除を手伝おうか?」
「ぜひ頼むよ!君たちがいれば心強い」
双子とレゴラスはすっかり意気投合したようで、まるで昔から友人であったように、本物の兄弟であるかのように軽口を叩くようになっていた。



(・・・息子が一人増えたようだな)
エルロンドは気づかれぬよう、安堵の溜息をついた。
頑固・偏屈で通るスランドゥイルの息子が、どんな腹積もりで裂け谷に来たのか、実は警戒していたのであった。
だが、レゴラスの表情も動作も、全てが純粋な好奇心と若々しい活力に満ち溢れていて、悪意の欠片も見受けられなかった。

あのスランドゥイルが、この地や我らについて良きことをそう話したとも思えぬが・・・。
言われてみれば、確かに面差しにいくらか似通ったところはあるが、それでも父王の冷ややかさを感じさせる美貌とこの若者とでは、全く質が違うのだ。
加えて気質はと言えば、何をか況や、である。

ふとグロールフィンデルと目が合うと、彼も同じことを思っていたらしい。
口元が僅かに苦笑していた。


一体あの親のどこをどう取ったらこんな天真爛漫な子が出来るのか・・・?


「レゴラス。そなたは母御に似たのであろうな」
目を細めたエルロンドの口から出た、何の脈絡のない突然の問いかけにたじろいだのは、寧ろそれまでの話し相手だった双子の方だった。
「・・・そう、ですね。
国の者からもそう言われます」
当のレゴラスはと言うと、僅かに考える素振りを見せはしたものの、屈託なく即答した。

「そうか・・・。
幼い頃はさぞ可愛らしい御子であったろう。
スランドゥイル殿が羨ましいな」
「父上、どうしたんです突然!」
「僕らが可愛らしくなくて悪かったですね」
むくれる己が子らに、「安心しろ、お前たちも母に似ておる」と吐き捨てると、エルロンドはゆっくりとレゴラスを眺めた。

「小さい頃のことはあまり覚えていないのですが・・・。
子供は珍しいですし、皆からはとても可愛がってもらいました。
でも・・・父は少し恐ろしかったです」
「ほう?」
「とても厳しくて、強い意志をもたれた方だから・・・。
今はその理由も解る気がしますが、小さい頃は他の方が父親だったらいいな、と思ったこともありました」
「ご本人が聞いたらさぞお怒りになるでしょうな」
グロールフィンデルが笑を堪えて、視線でエルロンドに同意を求めた。
しかしエルロンドはレゴラスを凝視しており、気づかない。
「あ、今のは内緒にしておいてください!
ばれたらどんな目に遭わされるか・・・」
首を竦めたレゴラスに、皆は愉快そうに笑った。

「もし耐えかねたらここに来るといい。
そなたならいつでも歓迎するぞ。
いっそ私の息子にしてもいい」
「父上!そんな・・・」
「僕らだって嬉しいけどさ、ちょっと強引じゃあ・・・」
エルロンドの冗談めかした言葉に呆れる双子の横で、レゴラスは目を輝かせていた。
「エルロンド卿が父上かあ・・・。
それも素敵かもしれませんね!
ではここにいる間は、エルロンド卿を父と思うことにいたします」
「レゴラス!」
「乗ってやらなくったっていいんだよ!?」
慌てる双子と笑い転げるレゴラスを見て、年長者たちはまた温かい笑い声を上げた.

エルロンドは、自分の心が久方ぶりに晴れやかになっているのにまだ気づいてはいなかった・・・。





夜になって。
夕星が姿を消し、淡き光のイシルが天高く昇った頃、エルロンドは寝所を出た。

イシルを見上げて僅かに顔を曇らせ、気の向くままに足を運ぶ。
花の香りは、夜の方が一層芳しく濃厚に立ち込めている。
中庭に回り、ちかちかと輝く噴水の飛沫に目を細めながら、木々の下を潜ろうとすると・・・。


「エルロンド卿?」


声の主は・・・レゴラスであった。



「お散歩ですか?」
驚きのあまり声もないエルロンドの傍に寄り、にっこりと微笑む。
「よろしければ、私もご一緒させてもらえませんか?」
「あ、ああ・・・勿論だ」
なぜたじろいだのか自分にもよく解らぬまま、エルロンドは頷いた。
「レゴラス、どこに行きたい?」
「どこ、と言われましても・・・。
私には見るもの全てが珍しく思われますから、卿のお好きなところへ連れて行ってくださいませ」
花も綻ぶ笑顔、とは、こういうものなのだろうな、と心の中で一人ごちたエルロンドは、レゴラスに手を差し伸べた。

「では、私のとっておきの場所へご案内しよう」




そうしてエルロンドは、レゴラスを昼間グロールフィンデルと一緒に歩いた花園へと誘った。
「わあ・・・!!」
子供のように目を輝かせて、レゴラスは歓声を上げた。
「すごい!!綺麗だ・・・」
エルロンドは、一面の花の絨緞の上をはしゃぎ歩くレゴラスを眩しそうに見つめていた。
「お気に召したか?」
「ええ!私の国には、こんなに拓けた土地はありませんから。
繁った木々も好きですが・・・こういう光景は、今まで考えたこともなかった」

しばらく歩き回っているうちに、そうだ!と、突然叫んだレゴラスは、おずおずとエルロンドの方を向いた。
「・・・エルロンド卿?」
「何だ?」
「しばらく、後ろを向いていていただけませんか?」
「何故」
「いいから!」
首を傾げつつも、エルロンドは言われたとおりに背を向けた。



「・・・レゴラス」
「まだ駄目!!」
「判った・・・」



本当に子供の相手をしているようだ、とエルロンドが満更でもない笑みを浮かべていると、ようやくレゴラスが近づいてくる気配がした。


「・・・エルロンド卿。
こちらを向いてください」

振り向いたエルロンドの目に、白っぽい花を選んで編んだ輪を持って立っているレゴラスが飛び込んできた。
「裂け谷の父上に、贈り物です」
そう言って、レゴラスの腕がエルロンドの頭に伸ばされる。
さっ、と小さな音がして、頭が少しだけ重くなった。

「・・・これは?」
「父上には、よくこうして冠を差し上げるんです。
ですから、エルロンド卿にも、と思って・・・」
「・・・ありがとう」
エルロンドはそっと花冠に触れ、笑顔でレゴラスを見た。
「やっぱり、卿の御髪には白いのが似合うんですね!
父や私の金の髪だと、白い花はあまり綺麗には見えないんですよ」
はにかんだ笑顔を返し、レゴラスは言った。


(貴方の髪・・・黒くてとても綺麗ですから、白い花がよく映えますこと!)

切ない概視感に襲われ、エルロンドは暫し立ち尽くした。


「・・・エルロンド卿?どうされました?」
レゴラスが気遣わしげに覗き込む。
突然面を曇らせて黙り込んだエルロンドの機嫌を損じたのではないかと、気が気でない様子だった。
「いや・・・何でもないのだ。
少し、昔のことを思い出してな・・・」
安心させるように微笑みかけると、エルロンドはレゴラスの髪を一房手に取り、そっと唇に押し当てた。

「レゴラス、この冠の返礼として、私に出来ることはないか?
「え・・・」
頬を微かに染め、レゴラスは躊躇ったようだった。
「私は、お返しが欲しくて差し上げたのではありませんから・・・」
「そうではない。今度はそなたのために、私が何かしたいのだ。
遠慮なく言ってくれ。思いつかないのなら、今でなくともよいから」


「・・・・・・では・・・」
レゴラスは恐る恐る、エルロンドの首に腕を巻きつけた。
驚きながらも、エルロンドはしなやかな背をそっと受け止めた。
「私は・・・あまり父上に甘えさせてもらったことがないのです。
ですから・・・今だけ少しの間、父上としてこうしていてください・・・」

「こんなことでいいのなら・・・」
すぐ間近で囁かれる言葉に、エルロンドは拍子抜けするとともに、心の片隅で不満を覚えていた。

(父上として・・・)

そうでなくては、お前を抱き締めてはならぬと言うのか?
急に湧き上がって来た想いに戸惑いながら、エルロンドは天を仰いだ。

天のいと高きを過ぎたイシルが、ゆっくりと傾いていった・・・。









<written by 土方鉄狼/IN DREAMS>





















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「IN DREAMS」の土方鉄狼さまの2万Hits記念のフリー小説を頂いてきましたvv
ケレブリアン&エルロンドも、グロエルvも好きなもので嬉しくなってしまいます♪
そして初々しくて天真爛漫なレゴラスvvエルロンド様もイチコロですよね!
エルロンドの過去というのは本当に波瀾万丈で、切ないですよね・・・
そんな過去を持っているから魅力的なんですがv
最終的にエルロンドの傍らに居るのはレゴラスであって欲しいです。
1人残されたレゴラスを救えるのも、エルロンドだけだと思うのです〜
土方さま、ありがとうございましたvv
2万Hits本当におめでとうございます〜♪




























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